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ニューヨーク便り

 

橋本努

Essay on the Austrian School of Economics in New York

「創文」2001年1-2月号掲載稿を一部修正

 

 

 世紀の転換をニューヨークで迎えることになった。七月から約二年間の滞在予定で、私は現在、ニューヨーク大学におけるオーストリア学派経済学の研究プログラムに参加している。大学のあるマンハッタン中心部へは地下鉄で約三十分、多様な民族が共に暮らすアストリアという街に寓居を定め、新たな環境のなかで次なる思索生活がはじまった。

人種の坩堝であるだけでなく、大量の情報が生み出されては消費されてゆくこの都市は、文化的インキュベーション(胚胎)の過程をたえず醸成しつつ、さまざまな表象と観察の入り組んだ動態を生み出している。そうした環境のなか、私は最初の二週間を友人の茂木崇氏(東京大学大学院博士課程に在籍するニューヨーク研究者)と過ごし、共にこの地を歩きながら、ユニークな事柄を数多く知った。例えば、ジュリアーニ市長の手腕、ハーレム再開発における社会的企業家の役割、ミュージカル界の裏ドラマ、地代コントロールのもたらす複雑な社会現象、ニューヨーク・タイムズ紙の歴史やその記事がもつ社会的バイアス、等々、こうした知の断片は、都市の生態を探る感度を高めるために大いに役立った。

 しかし以下では主として、研究生活について記すことにしたい。一見世界に開かれた普遍的相貌をもつこの都市において、私はオーストリア学派という特異でディープな研究集団に潜り込んでいる。

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今年で二十五周年を迎えるこの学派のコロキアムでは、毎回ゲスト報告者を招き、さまざまな分野の研究者たちと議論を交わしている。毎週月曜日、午前十一時三十分ごろからニューヨーク大学にあるM・リッツォ教授の研究室に集まりはじめ、十二時になると、その時々で異なるレストランに出かける。料理を前にさまざまな会話を楽しむが、穏やかな日和には昼食を早めに切り上げ、コーヒーを片手にワシントン・スクエアへ行き、ベンチに座って会話を続ける。そしてようやく午後二時から、研究会が開かれる。

研究会のペーパーは一週間前に配布されており、参加者はこれを事前に読み終えているので、この時間はほとんどディスカッションにあてられる。議論のレベルは概して高く、実り多い時間となる。約一時間半の研究会が終わると、議論に飽き足らない人たちは、今度は近くの喫茶店に場所を移して、夕方の五時ごろまで話しを続ける。そしてすべての議論を終えたあとも、興奮冷めやらぬ私は、その日に論じた内容についてあれこれ考えをめぐらすことになる。おかげで夜中になってもよく眠れず、翌朝になるとぐったり疲れてしまうといった具合である。

この秋学期における研究会の各テーマは、以下のとおりであった。D・クライン「技術革新と規制緩和の相関関係」、W・ビュートス&T・マケード「科学者活動の自生的秩序」、M・ヴォルゲムース「シュンペーター 対 公共選択論」、S・ツァーラ「ベンチャー企業の国際的事業展開と人的資本の関係」、R・ハモーウィ「退役軍人に対する社会保障の歴史」、M・シーリー「ラテン・アメリカ諸国における水道事業の民営化」、R・コップル「期待の理論」、E・マケイ「市民法システムと社会秩序の関係」、R・ハーディン「投票行動における認知と合理性」、Y・B・チェ「分配の不平等性に関する誤った認識」、S・ラトナパラ「十八世紀進化思想と法制化の時代の関係」、R・バロン&G・マークマン&A・ヒーサ「女性企業家の性格に対する人々の認識特性」、そして最後に、D・ハーパー「企業家精神における自我概念の文化的差異」である。

以上のような諸テーマが示すこの研究会の高い学際性は、オーストリア学派というものが経済学の一分野に留まらない広がりをもっていることを表していよう。また私が興味深く感じたのは、参加者の多くが、I・カーズナーの理論を応用したり拡張したりすることに大きな意義を見いだしている点である。オーストリア学派研究の中心には、カーズナーの人格的な魅力と、無尽蔵な利用可能性をもつ彼の理論が位置しているように見える。

そのカーズナーは、七〇歳を迎えた今もなお、ニューヨーク大学において精力的な研究を続けている。今年は五年ぶりに講義を担当するということで、私はこの時期に訪れたことを幸運に思った。カーズナーの講義は毎週木曜日に開かれる。大学院の講義は午後二時から四時、学部の講義は夜六時二十分から九時まで。講義内容は一部重なるが、大学院では経済学史におけるオーストリア学派の位置づけを論じ、学部ではオーストリア学派経済学の理論的エッセンスを論じている。講義の水準は大差なく、私はむしろ学部の講義の方が綿密であるように感じたが、いずれにせよカーズナーにはある種のカリスマ性があり、学生たちも魅了されて聴講している。彼らは積極的に質問し、カーズナーもまた当意即妙に応答するので、講義は大いに盛り上がる。取り上げているテーマは、主観的価値の理論、要素市場における費用理論、市場プロセスの理論、企業家精神論、競争と独占、効率性と社会的調整、資本と利子の理論、貨幣論、経済変動論、社会主義経済計算論争、干渉主義、方法論などであり、その講義は実に見事である。初学者の理解を助けるための例え話、アカデミズムの裏事情、ジョーク、競合する諸理論の中に自説を慎み深く位置づけようとする努力、威厳ある振る舞い、リズミカルなアクセント、オーストリア学派経済学に対する情熱、等々、さまざまな要素が重なり合って、講義全体が一つの偉大なシンフォニーをなしている。私はこの講義を通じて、オーストリア学派の経済学をいわばドラマ化された形で体験しえたように思う。

 カーズナーとは夏休みに、二回ほど議論する機会をもった。均衡化過程の理念や主観主義の内実について、私は最近のカーズナーの論争状況を踏まえながらいくつかの質問を試みた。とりわけ私が関心をもったのは、彼の理論的コアに位置する「敏捷性」の概念が、一見するとアニマル・スピリットのような実践的モメントをもつようで、実は徹底的に認知的な推論を展開するという点である。例えばある人が、新たな利潤機会を発見したにもかかわらず、その利潤を獲得するだけのビジネス能力や取引の信頼関係をもたない場合を考えてみよう。カーズナーによれば、その人にビジネス能力や信頼が欠けているならば、彼は別の人を雇うことによってその能力を補えばよい。しかし彼が他人を雇うための認知的知識を追加的に発見していなければ、当人の敏捷性は、実はコストに見合うだけの有意義な発見をしていないのだということになる。このように、カーズナーは企業家精神の推論方法を認知的な費用便益計算の問題に回収していくので、実践的レベルにおいて体得されるべき暗黙知などは、直接には対象化されない。

同様の問題は、オーストリア学派の若き俊英、D・ハーパーの企業家精神論にも当てはまる。ハーパーは三年前にニュージーランドからこちらの大学へ来た講師であるが、すでにニュージーランドの経済改革に関する実証分析と、企業家精神に関する科学哲学的な理論構築において、それぞれすぐれた研究書を著している。彼の最近の関心は、いかにして企業家精神を陶冶することができるのか、その制度的・文化的基礎は何か、という問題に向けられており、特に途上国の経済開発過程と企業家活動の関係を研究対象としている。カーズナーは、企業家的敏捷性の能力を基本的に陶冶不可能であるとみなすが、これに対してハーパーは、企業家精神がさまざまな社会的諸制度によって陶冶可能であると考え、ダグラス・ノースなどの新制度経済学をオーストリア学派に導入しようと試みている。

大学院の講義では、まず新古典派の経済成長論や新制度学派の議論を検討し、経済成長の不均衡化過程、成長と企業家精神の制度的諸条件、私有財産と法的ルール、経済成長を政治的に計画することの意義、贈賄と犯罪の問題、貿易政策とグローバル化の問題、IMFやWTOやワールド・バンクなどの国際機関が果たす役割、東欧諸国やラテン・アメリカ諸国や東アジア諸国の最近の経済発展に関する考察、規制緩和へむけての政策改革、人口成長と経済発展、といったテーマを論じている。

ハーパーの議論のコアには、批判的合理主義に基づく経済のダイナミクス(成長)という理念があり、「人々の敏捷性と批判の能力を最適に発揮させるシステム」なるものを構想している点に魅力がある。しかし批判的合理主義の理念を経済の次元に拡張する場合、はたしてそれが実証的・規範的な意味で経済行動の最適な指針を提供するのかどうかについては、理論の初発の段階から問題が残されているように思われる。カーズナーと同様にハーパーの場合にも、認知的次元と区別される実践的次元の意義がうまく論じられていないように見えるのである。

この点をめぐって私は、ハーパーと二回にわたって議論した。私の疑問は、経済活動における批判や敏捷性の最適な基準というものが、認知的次元の考察のみでは十分に導きだせないという点にある。経済活動およびそのシステムの本性は、むしろ「人間の認知能力を節約する実践的技術」という観点から考えるべきではないか。経済とは、批判的認知能力を縮減するための知恵として、またそうした知恵がもたらす「第二の認知」として、捉えるべき現象ではないだろうか。私はこうした着想のもとに、現在、市場経済の経済的本性という問題について考えている。

経済の本性に対するこうした考え方の原型は、例えばすでに、十八世紀スコットランド啓蒙における共通感覚論や、その知見を洗練させたプラグマティズムの批判的共通感覚論、あるいはベルグソンの生命哲学に見いだすことができるであろう。またその一部は、ハイエクやリッツォの経済思想にも見いだされる。私はハーパーとの議論において、この点を「選択概念における認知と実践の関係」という観点から明確にしようと試みたが、その考察はまだ途上にある。

いずれにせよ私の着想は、リッツォの経済思想に影響を受けている(オドリスコル&リッツォ著『時間と無知の経済学』勁草書房)。リッツォは現在、オーストリア学派研究会のコーディネーターを務めている。私はこれまでに、彼の最近の論文(計八本)に対して批判や追加的考察を加えるという形で、計六回ほど議論した。お互いに思考回路や問題関心が似ているのであろう、彼との対話は有意義なものとなり、私は自分のテーマを深めていくことができた。まだ荒削りではあるが、経済の本性に関する実践哲学的把握は、一方では均衡感覚にもとづく市場調整のダイナミクスとして、他方では企業家精神にもとづく創造のダイナミクスとして、それぞれ考察をすすめていくことができるだろう。リッツォの市場観はポパー的なビジョンとベルグソン的なビジョンのあいだで揺れ動いているのだが、私はカーズナーやハーパーとの対質を踏まえて、とりわけベルグソンの知見を先に挙げた共通感覚論と結びつける方向へ、市場経済の哲学的記述をすすめていこうと考えている。

ところで大学院におけるリッツォの講義は、驚いたことに、彼のこれまでの研究とは異なる経済倫理学であった。彼は現在、市場の原理を規範経済学の観点から検討することに取りかかっている。「諸個人の効用を加算することはどのような意味をもつのか。」「価値の主観性は経済学における規範的基準の基礎をなしうるのか。」「あらゆる効用が社会的効用関数において等しく取り扱われるべきなのか。そうでないとすれば、どのように考量すべきなのか。」「効用と選択過程の関係はどのようなものか。効用はたんに選択対象の獲得を意味するものとして同定してよいのだろうか。」「規範的経済学において個人の自律というものがもつ意義は何か。」「市場取引において利己性が果たす役割は何か。」「経済学は道徳的行動の諸基準に対していかなる洞察を与えることができるのか。」「特定行為の道徳性と一般的ルールの道徳性のどちらに関心を向けるべきか。経済学の知見は後者の道徳性に限定されるものなのか。」「キリスト教とレッセ・フェールの関係はどのようなものか。」「賃金の道徳的基礎は、生産物の限界的価値に基づくものなのか。」およそ以上のような問題について、リッツォはさまざまな規範経済学者を相手に、批判的かつ原理的な考察をすすめている。その冒険的で執念深い研究活動に、私は大いに刺激を受けた。

この他、研究会を通じて私がとりわけ親しくなったのは、ニューヨーク州立大学に勤める日系三世のサンフォード・イケダ氏である。こちらに来た当初、私は彼の自宅で和食をご馳走になった上に、お米と炊飯器をプレゼントされた。イケダ氏は日本語を話さないが、日本の伝統的な文化を深いところから体得している。というのも彼は、ベテランの和太鼓奏者でもあるからである。この九月に催されたマンハッタンの日本祭りでは、彼は太鼓グループのリーダーとして、日本文化の特色を分かりやすく説明しながら演奏を披露した。後日、私は彼の太鼓ワークショップに参加する機会を得た。かなりハードなトレーニングを受ける羽目になったが、しかしそこでは日系人を中心とする日本文化の継承が、マンハッタンの多文化的環境のなかに確実に根を下ろしているように感じた。

 ところで彼の家系の物語には大変興味深いものがあるので、少し紹介したい。一九〇五年に福岡からアリゾナに移民した彼の祖父は、サバンナを開拓する農民となった。一〇年後にいったん帰国した祖父は、見合結婚をした後、再びアリゾナに赴いた。しかしその現実は開拓小作農民の過酷な生活であり、けっして豊かなものではなかった。土壌の貧しさから、彼の家族は三年に一度、相対的に肥沃な土地を求めて住まいを変えなければならず、そのためにテント生活を余儀なくされた。熱く、埃っぽく、ハエの多い環境であり、半ば遊牧民のような暮らしであったという。祖父は、しかし農場をうまく運営できず、その経営は一九三六年、九人兄弟の長男であるイケダ氏の父によって引き継がれた。父は当時一九歳であったが、大学に行くための奨学金を得ていたにもかかわらず、これを断念して家業を引き継がねばならなかった。イケダ氏はこの事実を不憫に感じたのであろう。彼は父の志を受け継ぐべく、大学への進学を強烈に志すことになる。

そのイケダ氏は、ふとしたことからオーストリア学派の経済学に出会っている。彼が高校生のときである。彼の姉は、かかりつけの医者に二冊の本を紹介された。当時著名な新聞論説家であったH・ハズリットの『エコノミクス・イン・ワン・レッスン』と、ハズリットが最も評価する経済学者、L・フォン・ミーゼスの大著『ヒューマン・アクション』である。イケダ氏はこれらの本を姉から薦められて読み、結果としてオーストリア学派の研究を志すことになったというから驚きだ。その後イケダ氏は、大学院においてオーストリア学派における独占論の問題を研究し、さらにその後は、干渉国家の累積的膨張が自生的な性格をもつことに関する理論的研究に従事した。後者の研究は、一九九七年に著作として出版されている(『混合経済の動態:干渉主義の理論に向けて』)。

最近の彼の研究は、干渉主義の問題を都市計画のレベルへ応用することであり、都市の自生的性格と人々の信頼形成の関係に関心を移している。「都市における干渉主義」というのが、彼の目下のテーマである。そもそも都市は計画的に整備されるものであるが、それが人々の豊かな自生的ネットワークを生み出すのはいかにして可能なのだろうか。都市計画はいかなる意味で非干渉主義的でありうるのだろうか。こうした問題について、私は彼とたびたび議論している。

 イケダ氏とは一度、彼の著書に関して徹底的に論じたことがある。議論は多岐にわたったが、主要なトピックは次の点にある。氏は、自生的市場の理念を純粋に受けとるために、市場経済を安定化させようとするいかなる政府の政策も、すべて意図せざる不均衡化過程をもたらすと考える。最小国家を成立させるための最低限の課税政策でさえ、市場を不安定化させる要因になりうるというわけだ。こうした考察の結果、氏は最小国家以前のアナーキーな市場経済なるものに社会の自生的安定性の源泉を見いだすのであるが、果たしてそのような安定性の理念は、どこまで有効なのだろうか。なるほど氏の理論は、干渉国家と最小国家の区分を安定性の観点から無効にするところに認識利得がある。しかしこの洞察は、市場の自生的安定性が、国家の規模よりもむしろ、文化的・社会的諸条件に依存することを示唆しているように見える。だとすれば、市場の自生的安定性は、他のシステムから区別された純粋な市場なるものに実体的な源泉をもつのではなく、むしろ、たえざる社会的プロセスのなかで「自生化」されることによってのみ、与えられるだろう。市場を自生化する機能や条件は、さまざまな観点から考えなければならない。私はこのような着想から、現在、経済なるものの実践哲学的把握という原理的な研究を、「洗練された自生化主義」というビジョンへ発展させようと構想している。

 こうして私の研究は、新たな対話のなかで形をなしはじめた。およそ哲学的な思索が空回りしないためには、自説をもって立つ魅力的な論者たちとのあいだに、論争的な関係をもつことが望ましい。そう思いながら私は、新しい創造の契機を期待しつつ、遅々として進まない理論的考察に日々取り組んでいる。